自然死という選択 その5

 さて、こんなに間が空いてしまったのに、図々しくも、続き。
 厳格な曾じいさんに嫌気がさして、じいさんは東京に逃げることに決めた、らしい。跡継ぎとして生きるのが苦痛であったのか、それとも東京暮らしにあこがれたのか……まあ、おそらくその両方だったのだろう。真面目さからは遠い性格だったから、なんとなくその若き日の思いも想像がつく。
 そうして、家出か出奔か、というような形で東京に出てきて、じいさんは新たな地で暮らしはじめた。いくつか職を変えたあと、わたしの知る頃には、おもちゃの製造などを家で行っていた。実家を捨ててきたわけだし、勤勉でもなかったから、貧乏暮らし。しかし、貧乏なんて屁のカッパ、というのんきな暮らしぶりだった
 さて、じいさんには四人の息子がいたのだが、子供の教育にはまったく無関心だったという。むしろ、進学に反対したりもしたらしい。自分の決して深くはない考えを、子供達に押しつけて、なんの葛藤もない性格だったように思う。わたしの父親は長男だが、進学を阻まれたクチで、このじいさんに対して、それほど愛着を持っていなかった。ただ、一番下の息子(わたしにとっては叔父)とは、ウマがあったのか、仲がよかった。そして、その末息子のほうも、最終的にじいさんと共に暮らす道を選んだ。
 だから、老後は末息子の家族と同居生活。ちなみに祖母はすでに六十代で、ぽっくりと死んでしまっていた。ひとりになったために、息子との同居がはじまったわけだ。そして、そのまま、月日が経ち、じいさんはやがて八十を越え、八十二歳になった。
 同居している叔父の家は近所だったために、それなりの行き来があった。じいさんもよくうちに遊びに来ていたし、叔母と母も交流していた。
 ある日のことだ。
「おじいちゃんが食べるのをやめちゃったのよ。おれの人生はもう終わったからいいんだ、って言い出して」
 そう母親が言った。叔母から電話が入って駆けつけて知ったらしい。
 へぇぇぇ~、とわたしは思った。心の底から驚くほど、それは意外だった。酒が好きなだけの、およそ思索などしなさそうなあのじいさんが、そんな哲学じみたことをいうなんて。ほえ~、というのが本音。そして、かっこいいじゃん、と思った。
 わたしは死に抵抗がない。子供の頃から生きづらさを感じていたせいか、死というのは人生の苦が終わるゴール、という気がしていた。まあ、おそらくそのせいだろう、人とはちょっと感覚がずれている自覚はある。
 しかし、断食して死ぬなんて、かなり意志が強くなければできないことだ。それをあのちゃらんぽらんのじいさんがやろうとしているなんて……。驚嘆はやがて感嘆に変わっていった。
「本人がそうしたいというのなら、それを尊重したほうがいい」
 わたしはなんのためらいもなく、そういいはなった。あきれかえった母親の顔に、「なんて冷たい子だろう」という反応が浮かび上がっていた。けれど、それがまぎれもないわたしの本心だった。
 もうこれ以上生きる必要はない、というじいさんに向かって、それをとめる言葉は見つからなかったのだ。
 もっと若い人であれば、わたしはとめる。可能性があり、まだ、未来という時間がある。あきらめてはいけない、と胸を張って言える。
 しかし、八十を過ぎて、人生が終わったと感じる人に、なにを言えばいいのだろう。生きがいのある人生をいまさら作ってあげることなど、わたしにはできない。自分のなにかを犠牲にしてまで、じいさんに喜びを与えてあげよう、という気持ちだって、ない。
 これ以上、生きる意味がない。じいさんはそう思ってしまった。
 精神科医なら、「老人性の鬱」というだろう。
 けれど、わたしはそうは思わない。八十をすぎて抱いた人生への失望。それは、自分自身への失望にほかならない。その心に薬を投与してむりやりハイにすることが、果たして正しいことなのか。
 人は結局、自分が選んだ人生を生きる。生きがいを失ってしまったのは、それまでの人生の結果だ。人生は厳しく、難しい。
 わたしはじいさんの決断を反芻しながら、ちゃんと生きよう、と感じていた。できれば、年を取っても仕事があるように、生きがいを持っていられるように。人とのつながりも大事だし、社会との関わりは重要だ。死を願う晩年にならないように、頑張らなきゃならない、と……。
 いや、しかし、こうして中年になると、それがどれほど困難なことか、実感せざるをえない。そう、しみじみと、人生も世の中も甘くはない、と痛感している。今なら、もっとじいさんに同情や共感を持てただろう。
 そもそも、わたしはじいさんが好きだった。孫にはいつもほがらかで、やさしかった。よくお小遣いをくれたし、かわいがってもくれた。「いいお爺ちゃん」だったのだ。決して、嫌いだから冷淡だったわけではない。
 断食をはじめて二ヶ月か三ヶ月だった頃だったろうか。じいさんはもう布団の中で寝た切りになった。
「今日、口にカステラと牛乳を押し込んでむりやり食べさせたんだけど」
 と、母親が言った。
「入院させようかって、話しになってね」
 それを聞いて、わたしは即座に言った。
「そんな本人が望まないこと、するべきじゃない」
 再び、母親のわたしを見る顔が歪んだ。そう、また冷たさにあきれていたのだ。
 でも、わたしも心情を変えるつもりはなかった。死ぬのはそんなに悪いことなのか? 世間が死を忌避することこそが、いつもわたしには謎だった。
 じいさんの断食死が、それから、何日後のことだったのか、はっきりとは覚えていない。
 ちょうど同じ頃、親友の母親が死の床についていたため、そちらに時間を費やしていたからだ。そのお母さんの危篤から葬儀までに付き添ってあいだに、じいさんは旅立っていった。葬儀から葬儀へのはしごとなって、わたしはちょっと脳がこわれかかったのを覚えている。
 じいさんの顔は穏やかだった。肉はそげ落ちていたけれど、自然に寝入ったような表情だった。
 ちゃらんぽらんだったじいさん。思うままに好き勝手に生きたじいさん。その生き方に比べれば、究極の自然死、という最後の選択は、それなりにあっぱれだったと、今も思っている。

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この記事へのコメント

8ru
2013年01月01日 18:09
あけましておめでとうございます。2013年もよろしくです~´ω`
今年もいっぱいコメント書き込みします~´ω`
2013年01月02日 14:40
RE:8ruさま
あめでとうございますー!!
今年もよろしくお願いいたします。
8ruさんのコメント、たのしみです!♪

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